いわゆる記者クラブ制度をめぐって、議論が白熱したのが十五-六年ほど前だったと記憶している。政権交代のマニフェストに記者クラブ開放を掲げた民主党は、〇九年八月の解散総選挙で議席を拡大。小選挙区比例代表並立制における本格的な政権交代となった。しかしながら、官邸記者クラブとしては最初から協力の姿勢はなかったらしい。もっとも、マスコミが政権に“協力”するようなことがあっては困るのだが。
◇ 「内閣記者会としては協力できない」 発言から15年
フリージャーナリストの田中龍作さんのウェブサイト「田中龍作ジャーナル」に平成二十二年三月二十六日付で掲載された記事によると、当時政権与党だった民主党の中堅議員の話で、興味深い話が掲載されている。
中堅の民主党議員によれば、記者会見の開放をめぐって大メディアから平野官房長官に圧力があった。「記者会見をオープン化すると内閣記者会として鳩山政権には協力できない」。
平野氏は「今は内閣記者会と戦争をするわけには行かない」として記者会見を閉ざすことを決めたのだった。
官邸記者クラブといわれるが、正式名称は「内閣記者会」と言われている。この記者クラブが、堂々と政権に対してNoを突き付けた。それも記者クラブオープン化に反対という理由で。発言がいつあったのか、なかったのか。あるいはどのようなニュアンスだったのかを検証する術はもはやない。しかしながら、民主党政権の早期瓦解には、記者クラブのオープン化をめぐる議論と、それに反対するマスコミ側の思惑が折り重なったものとみている。結局民主党政権は、国民との約束をほとんど果たせぬまま、平成二十四年十二月に自民党に政権の座を渡すことになった。

