老後社会。誰のための「現役」延長なのか▼年金の受給開始を何歳にするか、自己責任で選べるようにするという。耳ざわりはいい。だが、その選択肢の裏には、選べるほどの余裕を持たぬ人々の姿がある。物価は上がり、預金は目減りし、年金だけでは暮らせない。ならば働け、まだ動けるだろう――社会の声がそう囁く。生涯現役という言葉は、かつては気骨をたたえた。いまや、生涯労働の婉曲表現である▼駅前のスーパーで、夜の警備服に身を包む七十代の男性と目が合った。孫のような客に笑顔を向けつつ、冷気に肩をすくめる。退職金を食いつぶすのは早かった。年金だけでは家賃もままならず、立ち仕事を続けるという▼国はいう、「長く働くことは生きがいだ」と。だが、働くことが生きがいになるのは、働かなくても生きていける人の言葉である。生活のために働き続ける人にとって、それは生きがいでなく、生存の手段だ▼一方で、高齢者雇用の“柔軟化”を掲げる政策は、企業に負担をかけぬ仕組みづくりに余念がない。年金制度の穴を、労働市場で埋めようという構図だ。責任を社会が担わず、個人に委ねる――それを「自由な選択」と呼ぶ。皮肉な自由である▼老後とは本来、休息と回想の季節であったはずだ。だがいまや、終の棲家は「働けるうちは現役で」の標語の下にある。人生百年と誇らしげに語る人たちの多くが、その百年を椅子の上で過ごすことはない。選択とは名ばかりの時代、静かな老後を選ぶ自由こそ、最も贅沢な夢になった。

![[時事寸語]= 生涯現役への違和感](/image/template-header.jpg)