第二次世界大戦から間もない五〇年代のイタリアが舞台となる映画ーー。イタリア国鉄の特急運転士・アンドレア・マルコッチ(演・ピエトロ・ジェルミ)と、家族とその周囲をめぐる映画。意外にも日本語圏での批評はそれほど多くない映画だが、クリスマスに始まりクリスマスに終わる作品は、思いのほか、人間の孤立、家庭崩壊、底つき。そこからの再生を描き終わる。
◇ あらすじ
アンドレアは三十年間、イタリア国鉄の機関車運転士として生きてきた。あるクリスマスの日、仕事を終えて行きつけのウーゴの居酒屋で酒を飲み、陽気にギターを弾いて楽しむ。息子のサンドリノ(演・エドアルド・ネヴォラ)が先に家に帰ると、家は不穏に切羽詰まった様子だった。母親のサラから迎えを頼まれ、サンドリノは父、アンドレアを迎えに行くが、アンドレアも皆も陽気に楽しく歌っている。サンドリノは陽気な父が好きで、深酒をするアンドレアに付き合い帰宅する。
帰宅すると家には誰もいない。アンドレアの娘ジュリアの体調が思ったより良くなく、流産しそうといい、皆ジュリアの家に行ってしまったという。元々一本筋な性格で頑固な父・アンドレアと娘のジュリアは不仲。そのまま寝入る。
ジュリアが妊娠した経緯も複雑だ。交際相手のレナートとの子ではなく、別の男との子を身ごもっていたらしい。交際の話し、厳格な父、そんな最中、アンドレアは声を荒げ、ジュリアは「父は私が嫌い」と感情に走る。そんな家庭環境を俯瞰的に見ているサンドリノの視線は、大人以上に鋭いものがある。アンドレアは、レナートとジュリアを結婚させたが、関係は相変わらずうまく行かない。結局生まれた子は死産で、レナートとの関係は悪くなった。一方、アンドレアの長男マルチェロは定職にもつけずぶらぶらしながらワル仲間と付き合うため、家庭はうまく行かない。
ある日、特急列車を運転中に三十歳ぐらいの男が線路に入ってきて自殺する。アンドレアは平静を装うが、やはり動揺していた。相方のジージは「気にすることはない。アンドレアのせいじゃない」と言うが、「あのバカは三十歳ぐらいだった」と、家庭のこととどこか結びつけていた。
印象深いのは「あのバカ」と言いつつも、どうしてもその姿を忘れられずか、酒を飲むシーン。
同列車は再び運転を再開するが、ぼうっとした様子で運転ーーついには赤信号を見落とし、あわや対向列車と衝突という事故寸前の不祥事を起こしてしまう。
国鉄は信号無視の件で、アンドレアから執拗に事情を聞く一方、組合側は深夜手当などの賃上げを要求してストを計画。アンドレアは組合執行部に不満をぶつける。「あんな事故があって冷静に運転できる奴がいるのか」と。しかしストのほうがに目をやっている組合側は、アンドレアの件は一切扱おうとしない。
事情聴取ではアンドレアに不利なことばかり取り上げられる。アンドレアの酒好きを進んで証言する者もいた。特に飛び込み自殺の当日は、ワインを飲んでいたことが取りざたされた。アンドレアは停職となり、健康診断を受診させられる。右目の視力低下、アルコールへの依存など、不利なことが次々に明るみに出た末、構内運転手への降格、減俸の憂き目にあう。アンドレアが心情を吐き出すシーンの「線路に飛び込んできた奴をひいて、普通に運転を続けられる奴がいるか」「事故のことを考えて信号を見落とした、なのに俺が酔っぱらい運転をしていたのが悪いという」ーー仲間はアンドレアの酒好きを平気で話していた。組合も国鉄も、アンドレアの一回の事故未遂のほうが重要らしかった。
家庭の方は、ジュリアとレナートとの仲がなかなか改善しそうにない。サンドリノとジュリアが街を歩いていると、昔の浮気相手の男が現れる始末。長男のマルチェロは借金をごろつきに催促され、アンドレアも降格されて以来、組合費の支払いすらできない有様だった。
ある日、サンドリノは子供たちとともに農民をからかう。農民にパチンコを構えて遊んでいたとき、ジュリアが車の中で男と二人でいる場面を見つける。
後日ーー町でその男の車を見つけると、パチンコを打ち込み窓ガラスを割る。すぐに警察に補導され、アンドレアが迎えに行く。アンドレアは心底呆れた様子で蹴りを入れるが、アパートに戻ってからサンドリノと面を突き合わせて話す。
「サンドリノ。お前はバカじゃないし賢い。石を撃ち込んだのにも、何か理由があるんだ。悪いことをした理由を聞きたい」と。サンドリノは、ジュリアが車の中で男と二人でいた話しを正直にいう。「もういいんだ。僕はあの男が嫌いなんだ」という姿は、やはり子どもとは思えない洞察と感想を言っている。
アンドレアは有無をいわずジュリアを殴る。妻・サラが止めてもとまらない。そこでようやくジュリアはアンドレアへの本音をぶちまける。
「全部父さんのせいだ。十八歳まで木綿の靴下。コートはおさがり。レナートと結婚したのも父さんの命令だったから結婚した」。「もううんざり」と。そして長男のマルチェロが駆けつけると、サラに暴力を振るうアンドレアを静止する。マルチェロとジュリアは家を出ていった。
そして組合側はストに突入したが、アンドレアは特急を動かすためにスト破りをする。仲間の裏切り、声を聞かない組合、会社への考えーー。相方のジージは止めるが、「お前はお前の仕事がある」と聞かず、列車をミラノまで走らせた。翌日からは「スト破りのアンドレア」と地域からも孤立していく。組合からも刺すような目でみられるようになり、行きつけの酒場も行けなくなる一方、酒量ばかり増えていった。父の威厳は徐々に薄れていったが、それでも見捨てないサンドリノの心境が描かれる。「パパは仕事に行かない。昼は外で暇つぶし。口数もうんと少なくなった」。
一方、ジュリアはレナートと破局。一人洗濯工場で働く日々を過ごしていた。ある日サンドリノがおつかいでジュリアの勤める工場に行く。そこでジュリアはジュリアで自分の理屈をぶつけつつ、破局も正しいことだったーー一人になれたことも良い選択だったと話す。
その日の夜、サンドリノは母であるサラと共に寝る。サラはアンドレアとジュリアの不仲をこぼす。「今まで話し合ったこともないから衝突してしまうの。だからささいな事でいつも大げんか。自分が正しいって思う人ほど仲直りができなくてーー」。「ママも幸せじゃないの。父さんも、出ていたマルチェロも、お前も幸せじゃないの。幸せがこの家から出ていったの」と泣く。
壊れ切った家庭の中で、サンドリノは自立していく。悲しむ母。酒におぼれる父。尾をひくスト破りの話し。そんな仲でもサンドリノは勉強熱心に励み、留年することもなく進級する。
あくる日、アンドレアの行きつけるようになった飲み屋にサンドリノは顔を出し、男同士の酒を飲む。アンドレアも「お前と話がしたかった」と心を打ち明ける。そして「自分が正しいと思ったことが違うと気づくことがある」と本音を話し、苦しい心のうち、スト破りの話しをする。
救いの手は、サンドリノがジージと共にいたからこそ差し向けられた。「ジージおじさんはスト破りと思ってないよ。ウーゴおじさんの店に行ったんだ」。その話を聞いて、アンドレアはウーゴの店に行くことを決心した。
そしてある日、ウーゴの店に意を決して顔を出す。一度は縁を切ったかつての同僚たちが見る中、ウーゴの取り計らいで和解した。
しかし、アンドレアは不摂生な生活の中でそうとう体を蝕まれていた。いつものギターを陽気に弾いていた最中、倒れた。心臓病だった。
そして迎えた十二月ー。ジュリアの元夫となったレナートは、ジュリアと会う。メリークリスマスを伝えるために。ジージも病身のアンドレアを気にしてよく顔を出すようになっていた。クリスマスの日、アンドレアもマルチェロも、サラも皆が和解し、家族仲は元に戻る。その日の夜、アンドレアは自宅で酒場で弾いたギターを抱きしめながら、「お前だけに捧げるセレナーデだ」とギターを弾いて、息を引き取る。サラの「眠ったの?」という笑顔の一言で、場面は切り替わる。
サンドリノの回想で物語は終わる。「パパが亡くなってもう随分経つけれど、ママは家が広くなったと言っている。僕は毎朝起きると、まずパパのベッドを見に行く」。父の不器用な愛と、家族の痛みと和解をめぐる物語は、こうして幕を閉じる。
◇ 物語を通じて見えるもの
父親としてのアンドレアは厳格だ。ひたむきに仕事に打ち込む一方、最初から家庭は崩壊気味。長男のマルチェロは定職につくでもなくぶらぶらし、ジュリアとレナートは不仲。慕うのはサンドリノ。娘でも妻でも手を上げる場面が多々出てくるが、感情の処理はあまり上手ではない。それが故に酒に手を伸ばしてしまう様子もうかがえる。特に映画の後半からは、その様子が特に見て取れる。地域からも職場からも孤立し、家庭は崩壊する中で父としての威厳も薄れ、酒を飲む日々を過ごす。一方で「正しいと思ったことが違っていたことに気づく」と心情を吐露する場面に、そんな父の姿への葛藤も見て取れる。
そんな父や周囲の姿を見ているのはサンドリノ。映画とはいえ、子ども以上に成熟している。特にジュリアと男の密会を見てパチンコを撃ち込む場面は、単に子どものいたずら心ではなく、「家庭の道徳を守りたい」という思いがくみ取れる。
アンドレアは心臓病に倒れてからは療養するようになる。最後のクリスマス、「お前だけに捧げるセレナーデ」を語り死ぬ姿は、どこか父としての不器用さから解放され、家族もそれを受け入れている。
アンドレアの仕事での相棒はジージ。ジージはアンドレアがスト破りをした後も、アンドレアとサンドリノを何かと案じている。組合がアンドレアを拒絶しても、地域が拒絶しても、決して見捨てなく、最後まで寄り添った。
◇ 作品の哀しさ
作中、アンドレアは相当な酒飲みとして描かれる。最初の居酒屋で酒を飲むシーンからして、閉店まで酒を飲んでから家に帰るほどだ。そして運転台にも酒を持ち込んでいて、飛び込み自殺の日、つい酒に手を伸ばしてしまう。それが災いして、組合も同僚も「アンドレアは酒飲みだ」として皆指を差すようになる。降格で構内運転士に左遷され、スト破りで裏切り者とされ、行きつけの店にも行けなくなり、家庭は崩壊。まさしく底つきだ。
この物語の救いは、アンドレアが死の前に自らの過ちを認められたことだろう。幼いサンドリノとワインを交わし、ウーゴの居酒屋に戻り、仲間たちと和解し、家族仲も元に戻る。
一方、イタリア国鉄の非情はもの悲しさを引き立てる。飛び込み自殺後に運転し、あわや正面衝突の事態を起こしたアンドレアを執拗に追及する。「事故未遂と自殺は関係ない」と切り離し、酒好きの話しを額面通りに受け取り左遷させる。一方でスト破りをした際には褒章を与えるわけでもない。組合も、ストをすることにばかり目を向け、アンドレアの不満を正面から取り上げることはなかった。
◇ この作品に出合った年
この作品に出合ったのは平成二十二年ごろだったと記憶している。高校生ながら、わからぬイタリア語で物語を見ていたが、とてももの悲しい気分になった。作中のテーマ曲はカルロ・ルスティケッリ作曲の鉄道員のテーマ。ギターの悲しい旋律が、白黒の映画の哀愁をさらにかもし出していた。
日本国内で有名なのは、高倉健の映画のほうだろうが、私にとっての鉄道員はこの映画しか知らない。

![[映画]= イタリア映画「鉄道員」(1956年)](/image/template-header.jpg)
