歴史の歯車が一つ、静かに逆回転した。公明党が自民との連立を解消し、「白紙に戻す」と宣言したのである。四半世紀続いた与党の一角が、みずから政権の座を離れる。その光景は、あたかも長年連れ添った伴侶が、ようやく離婚届に判を押したかのようだ▼一九九九年、政権安定を願って結ばれた自公連立は、以来26年、選挙協力と議席配分の知恵を駆使しながら続いてきた。時には信仰の理と現実政治の狭間で葛藤しつつも、「平和の党」は保守政権の“補助輪”として粛々と働いた。その補助輪が外れた今、政権の自転車は真っすぐ走れるのか。いや、むしろ公明こそ、補助輪なしで進めるのかが問われている▼「政治とカネ」「企業・団体献金」の問題で譲らなかったと斉藤代表は胸を張る。だが、理想を掲げながら現実の利益配分の恩恵を受けてきた二十余年を思えば、その声の響きにはいくぶんの遅さがある。与党の座にあった間、どれほどブレーキを踏み、どれほど黙認したのか。過去への総括なしに「信頼回復」を唱えても、足元の地盤はまだ揺れている▼かつて連立を解いた社会党やさきがけは、離脱後、風化するように消えていった。政治史は、権力から離れた小政党にいかに厳しいかを物語る。だが、もし公明党が真に信仰に根ざす「人間中心の政治」を掲げ続けるなら、失った権力の分だけ、言葉の重みを取り戻すこともできよう▼「我ら信義を尽くす」と唱えていた創設者の言葉がある。今こそ問われるのは、その信義が権力への忠誠であったのか、それとも民衆への誓いであったのか。白紙に戻したページに、どんな一行を書くのか。政治の風は冷たいが、そこに新しい筆を取る覚悟が見えるなら、わずかに春の光も射す。

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