あの頃、マスコミは“権力の敵”だった。一九六〇年六月、警視庁の機動隊がデモ取材中の新聞記者を殴り倒したとき、新聞各社は黙らなかった。読売、朝日、毎日、東京、共同、NHK――あらゆる社が一斉に抗議し、警視庁総監へ直接文書を叩きつけ、暴行した警官を刑事告発した。署名入りの抗議文には「絶対に容認できない」「知る権利への暴力」と明記されていた。あの時代、新聞記者は“殴られても取材をやめない”誇りを持っていた。そして警察を告発することを恐れなかった。報道とは、国家権力を監視する“第四の権力”だと、本気で信じていたからだ▼七〇年代も同じだった。デモ取材中にカメラマンが機動隊に暴行されれば、全国紙が社を超えて連帯した。「警察の暴力を許すな」「取材妨害は民主主義の敵」――そうした見出しが堂々と紙面を飾った。愛媛では、ハイジャック事件の取材拠点を警官隊が“乗っ取る”と、地元記者クラブが怒りの声明を出した。大阪では、犠牲者の遺体に祈ろうとした報道陣が“公務執行妨害で逮捕するぞ”と脅され、府警が記者を突き飛ばした。だがその翌日、新聞各社は一面で糾弾した。あの頃、マスコミは少なくとも“戦っていた”。権力と衝突することを恐れず、国民の知る権利を守るために、仲間とともに立ち上がっていた▼今、その姿はどこにもない。警察庁や検察庁の会見で、記者が官僚の言葉を「承りました」とメモするだけ。不当な排除があっても、沈黙。容疑者のリークをありがたがり、警察発表をそのまま原稿にする“代筆屋”と化した。捜査報道は事実よりも検察の意図を優先し、逮捕前の情報を垂れ流しても、訂正も反省もない。自らの記者証を盾に闘うどころか、それを“通行許可証”と勘違いしている。権力と向き合うどころか、寄り添い、媚び、共に笑う。これが令和の報道機関の現実だ▼報道の現場からは、抗議の声明も消えた。昔なら、警察が記者を殴れば全国紙が一面で糾弾した。今は、政治家が報道を侮辱しても“スルー”。官房長官が質問を無視しても、記者たちは“次の質問どうぞ”と従う。SNSで国民が怒っても、テレビは「コメントを控えます」で終わる。報道の矜持を失ったマスコミは、権力の番犬ではなく、装飾品だ。首輪のついた犬が、飼い主の顔色をうかがって尻尾を振る。これが“公共性”の名で守られている▼あの頃のマスコミは、間違いも多かった。だが、恐れを知らなかった。今のマスコミは、恐怖と保身に沈んでいる。暴力を受けたとき、彼らは声を上げた。今、言葉の暴力を受けても、沈黙する。国家の監視者が自ら目を閉じれば、民主主義は盲目になる。再び“警察に抗う報道”が戻る日は来るのか。かつての記者たちが守った「知る権利」は、今日も静かに踏みにじられている。彼らが血を流して守った現場に、今、流れているのは沈黙だけだ。

![[時事寸語]= 警察に抗っていたあの頃のマスコミ](/image/template-header.jpg)