[時事寸語]= 末期の日本の高市大将

[時事寸語]= 末期の日本の高市大将

 「戦艦」――この言葉を、現職の首相が国会で口にした。かつて帝国の象徴だったその響きが、再び政治の口から発せられる時代になったとは、誰が予想しただろう。高市早苗首相は、「言い間違いではない」と閣議決定までして強弁した。広辞苑を盾にとって「文脈によって意味は異なる」と言い張る姿は、末期の政権らしい知的崩壊の象徴だ。もはやこの国の政治は、現実と幻想の区別さえつかなくなっている。戦艦がない時代に“戦艦”を語り、外交が破綻しているのに“毅然”を唱える。高市大将の日本丸は、まさに座礁寸前である▼金の問題も相変わらずだ。政治資金規正法の上限を超える寄付を受けた首相は、「事務的ミス」と平然と語り、返金したと胸を張る。まるで裏金を「会計上の誤差」と呼び替えるような鈍感さ。企業は“愛国の名のもとに”札束を差し出し、政治は“手違い”の言葉で洗い流す。もはや腐敗は制度の一部だ。政治資金規正法など飾りにすぎず、法の精神は骨抜き。金の流れは透明化どころか、もはや国家の血流そのものになっている。末期の帝国が財閥と軍部の癒着で滅びたように、令和の日本もまた、献金と権力の蜜月に沈みつつある▼外交はどうか。中国との関係は氷点下を超え、クルーズ船さえ寄港をやめた。文化も観光も断たれ、海の向こうから聞こえるのは「危険水域」という警告だけだ。アメリカの専門家は「日本が強硬一辺倒で追従するのはリスク」と語り、韓国の教授は「右傾化が止まらない」と憂う。だが高市政権は耳を貸さない。防衛増強を叫びながら、日中、日韓、日米の全方位で軋みを生む。外交の目的が「同盟の維持」ではなく「国内の喝采」にすり替わったとき、政治は国家運営ではなく興行となる。高市政権はいま、拍手のために国を動かしている▼原発視察もその延長だ。廃炉が「着実に進捗している」と笑顔で語るが、被災地の人々の現実は遠い。荒れ果てた農地、除染されぬため池、野生動物の侵入。現場の声を前にしても、彼女の言葉は台本通りだった。国が責任を持つ? その「国」とは誰のことか。政治家が国を“演じる”ようになって久しい。彼女が見ているのは被災者ではなく、カメラのレンズだ。演説をすれば支持率が上がる。廃炉を語れば「責任感のある首相」と報じられる。政治が現場を踏みにじるとき、復興はただの儀式となる▼この国は、かつての“戦艦大和”のようだ。外見は威厳を保ち、内部は崩れ落ちている。外交は孤立、経済は停滞、政治は腐敗――だが首相は「着実に進んでいる」と言い続ける。高市大将の指揮のもと、誰も舵を切らず、誰も異を唱えず、ただ沈黙のまま進む。やがて聞こえるのは、泡と鉄の軋む音だけだ。末期の日本を導くのは、勇ましい言葉と空疎な自信。だがこの航路の果てに待つのは、勝利ではなく沈没である。戦艦の亡霊が見える――それは、高市政権そのものの姿なのだ。

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