[時事寸語]= 40年越しのブーメラン産経

[時事寸語]= 40年越しのブーメラン産経

 かつて「行革の旗手」を自任していた新聞が、今では「公務員が足りない」と紙面で嘆いている▼昭和五十八年のサンケイは、庁舎の滝の音にまで噛みついていた。人工の滝を眺める職員組合室を「税金のムダ」と糾弾し、冬時間で早帰りする公務員を「税金のタダ取り」と断じた。「行政への甘えを捨て、自立の精神を取り戻そう」「行革を妨害する議員を落選させよう」と、紙面の隅にまでスローガンを踊らせたあの筆致は、いま読むとほとんど戦闘声明のようだ。小さな政府こそ正義、職員削減こそ改革。公務員は「肥大した官」の象徴とされ、彼らを削ることが国家の筋肉質化だと信じられていた▼それから四十年。いま同じ新聞が、警察官の応募が半減したと憂え、市役所職員を五十歳まで採用せよと励まし、ついには「国と都道府県が市町村業務を代行せよ」と総務省の報告を紹介する。人手不足が深刻だ、IT人材が足りない、行政サービスが維持できぬ——その調子である。行革の成果、つまりは「減らし続けた結果」を、今度は社会問題として報じているのだから皮肉が利いている▼かつての「無駄な人員」と呼ばれた職員は、いまや「必要な担い手」になった。窓口で怒号を浴び、災害では泥をかき出し、感染症では夜を徹してデータを打ち込む。誰も見向きもしなかった労働の裏で、行政の現場はすでに限界を超えていた。それを“削減の成功”と書き立ててきたのは、他ならぬマスコミ自身だ。記事は「効率化」「民間委託」「デジタル化」と並べて語るが、それらの美名が現場の空洞化を進めたことには触れない▼秋田では熊の駆除に「公務員ハンター」を募集するという。昭和の紙面なら「役所が猟師まがい」と叩いていたであろう。いまは“人がいないから仕方ない”。かつて「痛みを分かち合おう」と呼びかけた新聞が、いまは痛みの原因に驚いている。どこか滑稽ですらある▼「行革」を叫び続けた結果が、「代行せよ」「支援せよ」という逆流だとしたら、歴史の冗談としては出来すぎている。官を削り、民に委ね、結局は誰も担わぬ社会。その末に残るのは、疲弊した地方と、謝罪記事のような報道だけだ。あの滝の音を聞き咎めた記者がいま生きていたなら、こう書くだろう。「行政への甘えを捨てよ」と。だが今度はその対象が、かつて自分たちの描いた“理想の小さな政府”であることに、気づくだろうか。

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