[時事寸語]= 過労死推進内閣への警告

[時事寸語]= 過労死推進内閣への警告

 「ワークライフバランスを捨てよ」。高市首相の言葉は、まるで号令のように響いた▼働く者の命を削って成長を誇る時代は、とうに終わったはずである。だがこの国の時計は、また針を逆に回し始めた。労働時間の上限を緩めよと指示する政権。かつて「働き方改革」を掲げた政府と同じ口が、今度は「馬車馬のように働け」と言う。言葉の綾では済まされない。政策の方向が、すでに過労死への坂を下り始めている▼「心身の健康維持を前提に」と添えられた文言が、かえって残酷に響く。前提が守られたことがあっただろうか。電通の若き社員が命を絶ったのは十年前。あの悲劇が「働き方改革」の原点とされたはずだった。今また、その原点が踏みにじられる。遺族が国会で声を上げ、「もう二度と同じ死を出さないで」と訴える――その声を聞きながら、国は再び過労死ラインの針をゆるめようとしている▼「働く自由」とは、美しい響きだ。だが、自由とは選択の余地があることを意味する。休む自由、断る自由、辞める自由――それを失えば、自由は鎖に変わる。企業の競争力を理由に、命の限界を押し広げる政策は、「自助」の仮面をかぶった強制労働にほかならない▼過労死防止法は、かつて国が「命を守る」と誓った証しだった。その約束を破るなら、法を掲げた意味は何か。国が率先して「働け」と言うとき、企業は遠慮なく「もっと働け」と言い出すだろう。疲れ果てた労働者の沈黙を「納得」と呼ぶ社会に、明日はない▼「馬車馬のように働く」と言った首相に、ひとつの忠告を。馬車馬は、自分で手綱を握れない。鞭を振るう者が誰であるかを、国民は見ている。政治の役目は、鞭を打つことではなく、馬を休ませることである▼働くことは生きることだ。だが、働かされることは、死に向かうことだ。政権の手綱が再び命を追い立てようとするとき、この国の労働者たちは、ただ沈黙しているだけではいけない。次に奪われるのは、時間ではなく、命そのものである。

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