子どもも若者も、次々に命を絶つ国になってしまった▼政府は「自殺対策白書」を閣議決定したと胸を張る。だが、閣議の机上で紙が増えるほど、現実の命は減っていく。数字は整い、表は更新される。だが、五年連続で若者の死は三千を超え、小中高生は五百二十九人。オーバードーズに倒れた若い女性たちは、もう「統計」の列に並んだ。命を数えることには熱心だが、救う手はあまりに冷たい▼「原因分析」「包括的支援」「相談窓口」──白書に並ぶ言葉のどれもが、すでに骨抜きである。統一ダイヤルは鳴り続け、いのちの電話はつながらない。相談員は高齢化し、志願者は減るばかり。電話の向こうに届かない声を、政府は「施策の成果」として記録する。人が死んでもシステムは生きている。そうした社会の冷徹さに、若者たちは耐えきれなかったのではないか▼「馬車馬のように働け」と言い放った政権が、命の軽さを本気で案じるとは思えない。過労死も、孤立も、貧困も、若者の死と地続きだ。学費に追われ、職場に潰され、行き場を失った末に薬を飲む。死因は「オーバードーズ」ではない。国の無策と無関心である。白書を出すたびに死者が増える国は、もはや政策の名を借りた放棄だ▼それでも政府は、会見で「減少傾向」と語る。言葉だけは前向きだ。だが、いじめの統計でさえ実数の半分しか記録されず、死が「なかったこと」にされる。嘘に慣れた政治と、絶望に慣れた社会。そのあいだで若者の心は磨耗していく▼死を防ぐとは、命を数字で語らないことだ。相談を「制度」に閉じ込めず、苦しみを「自己責任」と突き放さないことだ。子どもが死に、若者が死ぬ国で、経済も外交も繁栄はない。いのちが軽んじられる国は、やがて国家そのものが崩れる。今この瞬間にも、電話のベルが鳴っている。誰がそれを取るのか。国の沈黙が、今日もひとつの命を押し流していく。

![[時事寸語]= 若者の自殺大国ニッポン](/image/template-header.jpg)