[時事寸語]= 訴訟と和解と痛みと

[時事寸語]= 訴訟と和解と痛みと

 訴えを起こしたのが十月十四日。驚くほど早く、二十日には「和解申し出」の文面が届いた。社の印の押された封筒は、いつになく丁寧であった。皮肉なことに、働いていたときよりも迅速な対応である。訴状を読んで初めて「事態を把握した」という文面も、どこか他人事めいていた▼会社とは、事が起きるまで人を見ようとしない。LINEの履歴を見て「戸惑っております」と述べたが、戸惑うべきはそこではない。なぜ部下が自殺未遂に追い込まれたのか、なぜ安全配慮の義務を怠ったのか。その問いに答える気配はない。和解を急ぐほど、真相からは遠ざかる▼「金銭的和解の方向で」と書かれていた。会社にとって、痛みは常に金額で換算できるものらしい。心のひび割れも、誇りの損失も、契約書の一行で処理される。誠意という言葉が、いまやもっとも空虚な決まり文句になった▼書面の行間からにじむのは、責任よりも「処理」の意識である。社内調査も、守秘義務契約も、目的はただ一つ――沈黙の確保。声を上げた者を「解決済み」として封じ込める構図が、どこの企業にも共通している。働く者の尊厳より、会社の“評判”が優先される国である▼とはいえ、和解という言葉には、どこか人間の願いが宿る。許しではなく、終わりを求める静かな願いだ。訴状に記した痛みは、もう帳簿にも記録にも残らない。だが、心の余白に刻まれた出来事は消えない。会社が忘れても、社会は見ている。和解とは、沈黙の中に問いを残すことなのかもしれない。

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