[時事寸語]= 災厄の高市政治

[時事寸語]= 災厄の高市政治

 政治が国を導くどころか、国を災厄へと引きずり込んでいる──それが高市早苗政権の現実だ。企業献金問題を問われて「そんなことより定数削減を」と言い放つ首相。あまりに軽い。まるで国民の信頼など「そんなこと」とでも言いたげだ。政治とカネの問題は民主主義の根幹であり、権力の清廉さを測る最後の尺度である。それを“枝葉”と切り捨てた瞬間、政治は道義を失う。与野党の信頼も、国民の希望も。高市政権の政治観にあるのは「統治」だけで、「倫理」はない▼野党が猛反発するのも当然だ。立憲民主党は「われわれは“そんなこと”を重視して戦う」と言い、公明も国民民主も眉をひそめた。共産党は「改革をすり替えた」と断じ、れいわは「情けない」と吐き捨てた。政界全体が呆れ果てる中で、首相の側近たちは「毅然としている」と拍手している。この国では、反省しないことが強さの証しになったらしい。企業献金の透明化よりも、議席の削減という“数字の政治”に執着する。国を率いる者が数でしか政治を測れないとき、その政治は必ず腐る▼外交でも同じだ。中国との関係は冷え切り、浜崎あゆみの上海公演すら中止。文化交流まで被害を受けるほどの外交失策を前に、首相は「香港の火災に心を痛めている」とコメントした。優先順位が違う。燃えているのは香港のビルだけではない。日本の国際的信用も、同じように火に包まれている。だが、その火元を作ったのが自らだという自覚はない。火災に涙しながら、外交の火事場にはガソリンを注ぐ――これほどの皮肉があるだろうか▼麻生太郎副総裁は「高市政権を育てる決意」と語った。だがこの国の政治が必要としているのは“育てる”ことではなく、“止める”ことだ。育つほどに壊し、強くなるほどに孤立する。麻生氏が支援するその姿勢こそ、長年の自民党政治の縮図である。責任を取らず、失敗を継承し、反省を誇りに変える。安倍政権の亡霊が高市の中に息を吹き返している。国民不在の政治文化が「女版アベノミクス」として再登場しただけだ▼高市早苗という首相は、もはや時代の災厄そのものである。言葉は軽く、責任は重く、結果は惨い。政治とカネを問われれば「そんなことより」、外交で批判されれば「毅然と」、経済が揺らげば「国民に理解を求めたい」。この無限ループの果てにあるのは、信頼の崩壊だ。災害が自然に起きるのなら、災厄は政治が起こすものだ。高市政権とは、まさにその生きた証明である。国民にとっての最大の危機は、もはや外敵ではない。――「災厄の政治」が、永田町の中心に座っている。

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