[時事寸語]= ぬるくなったマスコミ

[時事寸語]= ぬるくなったマスコミ

 昔の記者会見には、確かに緊張があった。権力と報道の間には、まだ火花が散っていた。佐藤栄作首相の退陣会見で、記者が首相批判を撤回しないなら出て行けと言われ、本当に全員が席を立った――そんな場面は、今ではもう想像もできない。会見場を出て行ったのは、質問権を守るためであり、同調圧力ではなく良識の連帯だった▼だが、いまの会見はどうか。総理も知事も、笑顔を浮かべたまま、予定稿のように言葉を並べ、記者はその言葉をきれいに録音する。質問は指名制、指名は順番制、順番は暗黙の序列で決まる。異論を挟めば次から呼ばれず、追及すれば「場を乱す」と白い目で見られる。質問する側もされる側も、どちらも疲弊していない。まるで儀式のように、「はい、次の方」で締められる。緊張は空調と一緒に消された▼報道の自由度が下がったと言う前に、報道する側が「怒る力」を失っている。相手の嫌がる質問をすれば「攻撃的」と言われ、質問を控えれば「おとなしい」。どちらにしても叩かれるなら、最初から何も聞かない方が楽――そんな空気が、記者クラブを覆っている。だが、それは空気ではなくぬるま湯だ。そこに浸かっているうちに、報道は茹でガエルのように感覚を失っていく。権力が言葉を操り、メディアがそれを伝言板のように写す。冷たくなるのは、真実ではなく、記者の背筋のほうだ▼一九六〇年の安保闘争のとき、ラジオ関東のアナウンサーは警官に殴られながら中継を続けた。「これが現状であります」と血の混じった声で言った。記者は命がけで「見ること」を社会に届けようとした。あれから半世紀、警官が記者を殴ることはなくなったが、もっと静かに圧力をかけるようになった。記者のマイクを握る手は、今や誰にも殴られない代わりに、自分で力を抜くようになった。暴力の形は変わったが、沈黙の仕組みはむしろ巧妙になった▼それでも、マスコミは自らを「第四の権力」と呼ぶ。だがその権力は、権力者に向けられないとき、ただの見せかけでしかない。政府広報を読み上げるだけなら、AIでもできる。人間の記者がいる意味は、相手が嫌がる質問をすること、空気を壊すことだ。にもかかわらず、今の報道現場には「空気を読む力」ばかりが評価される。空気がぬるければ、そこから出る言葉もぬるくなる▼会見室には、今日も誰も怒らない記者たちが並ぶ。首相は笑顔で「次の質問どうぞ」と言い、誰も出ていかない。昔のようにテーブルを叩く首相もいないし、立ち上がる記者もいない。かわりにあるのは「ありがとうございました」という礼儀正しい挨拶と、空調の効いた沈黙。――ぬるくなったのは、時代ではない。記者の血だ。緊張を忘れた報道に、真実を暴く力はもうない。

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