昭和五十三年、北沢署の一巡査が女子大生を強姦殺害した。制服のまま、勤務中に。社会は震撼し、新聞は一面で「人殺し警官」と書いた。テレビは連日、北沢署前から生中継を行い、電話は抗議で鳴り止まなかった。土田國保・警視総監は減給の上、辞任。副総監は涙ながらに謝罪し、国家公安委員会は異例の緊急通達を出した。――あの頃、マスコミはまだ、警察を叩くことができた▼あの年の朝刊には、激情と使命感が同居していた。「信じた警官が凶行とは」「規律を正せ」といった見出しは、警察権力に対する社会の怒りそのものだった。世田谷の空は曇り、署の窓は閉ざされ、市民の信頼は一夜で崩れた。報道は、その崩壊を恐れずに描いた。忖度も配慮もなかった。新聞はまだ、警察の監視者だった。記者は現場に立ち、血の匂いを記事に残す覚悟を持っていた▼四十余年が過ぎた。警察の不祥事は今も絶えないが、見出しはすっかり穏やかになった。「警察官を書類送検」「監察官室は再発防止を訓示」。もはや「人殺し警官」などという言葉は、紙面に許されない。マスコミは「警察発表」を淡々と転載し、謝罪コメントで締める。発表の文言はそのまま引用され、警察の「語彙」が報道の「文体」になった。怒りを記す場所に、今は配慮が書かれている▼いつからだろう、警察を叩くと“出禁”になる時代が来たのは。記者クラブ制度の温室で、報道は権力の監視者から、権力の添え物へと変わった。発表に逆らえば情報を断たれ、会見で不躾に問えば次は呼ばれない。結果、報道は警察の代弁者となり、市民は「何も知らされない」ことに慣れた。権力に対する恐れが、正義を蝕むとはこのことだ▼あの事件の翌朝、新聞の見出しには「警官の規律を正せ」とあった。今ならどうだ。「警察官の再教育を徹底」と書かれるだろう。言葉が丸くなるたび、権力は強くなる。語気を失った社会は、怒りを忘れ、権力の暴力を「手違い」と呼ぶようになった。警察が暴力をふるい、マスコミがその理由を整える。そんな共犯関係が、今日も淡々と続いている▼もし今、同じ事件が起きても、警視総監は辞任しないだろう。記者会見は「ご遺族にお悔やみ申し上げます」で終わり、報道は「警察は再発防止を約束」と結ぶ。そして市民はチャンネルを変える。誰も怒らず、誰も驚かない。――マスコミが警察を叩けた時代は、正義がまだ血の通った言葉だった時代だ。今の見出しは静かすぎる。まるで、死者に手を合わせる祈りのように。いや、それは祈りではない。沈黙という名の服従である。

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