警察署とは、本来「人を守る場所」であるはずだった。だが今や、命を落とす場所としての顔の方が鮮明だ。池袋署で器物損壊の容疑者が死亡した。タクシーの窓を殴ったというだけで、現場で取り押さえられ、体をビニールシートでぐるぐる巻きにされ、取調室に運ばれた。その二十分後、男は呼吸を止めていた。死因は「不明」、対応に「問題は確認されていない」。いつもの定型句である。だが、息をしていた人間が警察署で死んでいる時点で、問題がないわけがない▼警察はこれを「保護シート」と呼ぶ。暴れる容疑者を落ち着かせるための装備だという。だが実態は、人を包み込み、体温と呼吸を奪う“簡易な死刑装置”にほかならない。全国の署で使われているこのビニール製の道具は、マニュアルに従っていれば合法という扱いだ。息ができなくなっても、手足をばたつかせても、「制圧の一環」と記録される。正義の名を借りた密室の窒息――これが令和の警察の現実である▼それでも、報道は驚かない。新聞は淡々と「呼吸が止まり、病院で死亡」と書き、テレビは「死因を調査中」と繰り返す。誰も“殺した”とは言わない。殺人は、ナイフを振るった時だけ成立するものではない。暴力を構造の中に隠し、制度で呼吸を止める――その方がはるかに巧妙で、悪質だ。マスコミはそこを指摘せず、「ご冥福を祈る」という警察コメントをそのまま垂れ流す。記者クラブのドアの前で、正義はいつも検問を受けている▼思い出すのは、かつての大川原化工機事件、あるいは取調中の「突然死」事件の数々。被疑者はなぜか皆、警察署の中で死ぬ。署内での録音録画は「プライバシー保護」の名目で制限され、現場を見た者はいない。密室の中で「不審死」は日常業務となり、「ご冥福」は免罪符となる。監察の報告書は黒塗りで、責任の所在は“空白”として処理される▼池袋署は言う。「取り扱いに問題はなかった」。では、もし問題があったとしたら、誰がそれを確認するのか。死んだ男か。彼に代わって、誰が声を上げられるのか。答えは簡単だ――誰もいない。だから、警察署は今日も「死体のない殺人現場」として機能する。そこでは罪が裁かれ、命が奪われ、正義が書類に押印される。名を、殺人警察署という。

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