今年の警察不祥事は、もはや“異常”という言葉でも足りない▼大阪府警では、裏付け捜査もないまま誤認逮捕を行い、42日間も市民を勾留。暴行を加えた警官が法廷で「職務範囲を超えてしまった」と反省を口にし、福岡では幹部が2千人以上を盗撮。高知では下着の盗撮が千回、東京では勤務中に高齢者の金を盗み、兵庫では交番で8人がスマホゲームに熱中していた。しかもこれらが同じ年に起きたのだ。組織ぐるみの腐敗と言わずして何と言おう▼だが、事件後に並ぶ言葉はいつも同じだ。「言語道断」「指導を徹底し、再発防止に努めます」。まるでテンプレートだ。官製コメントが流れるたび、現場の倫理観はさらに軽くなる。再発防止を繰り返しても再発し続けるのは、それが“本気”で語られたことが一度もないからだ。組織を守るための謝罪が、正義の仮面をかぶっているにすぎない▼そして、報道もまた沈黙に手を貸す。テレビは「警察官が不祥事を起こした」と短く伝え、翌日には別のニュースで上書きされる。続報はほとんどない。記者クラブという“共存の城”の中で、記者たちは警察本部の定例会見を待ち、配布資料をもとに記事を整える。警察を批判すれば出入り禁止。だから深く掘らない。掘れない。結果、警察の不祥事はいつも「処分」「謝罪」「指導」で幕を閉じる▼権力の監視役が権力の庇護下にある——その構造こそが、日本の警察のモラルを蝕んでいる。自らを律する機関がなく、外部検証も第三者委も設けない。冤罪が生まれても「システムエラー」、暴行があっても「職務の一環」。これでは法の番人ではなく、法の上に立つ存在だ▼警察が市民の信頼を失えば、治安国家はただの“管理国家”になる。市民を守るための警察が、市民から守られる存在になる前に、メディアもまた覚悟を問われている。「指導を徹底」ではなく、「真実を徹底」する姿勢を。権力を監視する力を失えば、正義は空洞と化す。今年の不祥事の列は、警察だけでなく報道の堕落をも映している。

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